雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『華芳墓誌』―華歆の曾孫華芳と太原王氏

1965年、北京で王浚の妻、華芳という人の墓が見つかった。 この墓は西晋永嘉元年(307年)に作られたもののようで墓から『華芳墓誌』とよばれる墓誌が出土した。 この華芳は華歆の曾孫であり、王浚は名門の太原王氏で『三国志』注にたびたび引用される『魏書…

碑と史書との整合性

『後漢書』本紀巻八、霊帝紀、中平五年条 益州黄巾馬相攻殺刺史郗儉,自稱天子,又寇巴郡,殺郡守趙部,益州從事賈龍撃相, 斬之。 中平五年六月、益州黄巾*1馬相が刺史の郤倹を殺し、天子を僭称した。また、巴郡に攻め込み、巴郡太守の趙部を殺した。益州従…

楊儀「費禕さんへ」

参考:http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/06/20/0005149968.shtml 費禕さんへ 蜀漢軍の将軍、官吏、関係者を傷つける密告が相次いでいます。たくさんの暴露が行われ、蜀漢軍関係者を混乱させ、将軍、官吏を苦しませています。私は中軍師という立場で心…

段熲と段煨

昨日ツイートした話をリサイクル。環境と自分に優しい雲子である。 段熲と段煨って同姓だし、名前も微妙に似てて正直こんがらがるよね。 段熲は字を紀明、武威姑臧の人。 桓帝〜霊帝期に涼州の反乱鎮圧に活躍した。 同じく涼州で活躍し、字(あざな)に“明”…

段熲と涼州大乱

『後漢書』列伝第四十七、劉陶伝 是時天下日危,寇賊方熾,陶憂致崩亂,復上疏曰:「臣聞事之急者不能安言,心之痛者不能緩聲。竊見天下前遇張角之亂,後遭邊章之寇,每聞羽書告急之聲,心灼內熱,四體驚竦。今西羌逆類,私署將帥,皆多段熲時吏,曉習戰陳,…

益州の有力氏族(旧巴篇)

はじめに 『華陽国志』は県ごとにどのような一族が勢力をもっていたかを載せてくれてるよ! というわけで、表にしてみる。 今回は巴郡から分かれた巴郡・巴東郡・涪陵郡・巴西郡・宕渠郡だよ! あと漢中・蜀・南中があるから三回分の更新は稼げるぜ 有力豪族…

南中の四姓五子

史料 『華陽国志』巻四、南中志 移南中勁卒青羌萬餘家於蜀為五部無當無前號為飛軍分其羸弱配大姓雍婁爨焦孟量毛李為部曲置五部都尉號五子故南人言四姓五子也。 訳: 諸葛亮は南征後、南中の兵や青羌の一万余りの家を蜀に移住させ、五部・無当・無前という部…

霍峻の部曲

『三国志』巻四十一、霍峻伝、附霍弋伝 霍峻字仲邈,南郡枝江人也。兄篤,於鄉里合部曲數百人。篤卒,荊州牧劉表令峻攝其眾。表卒,峻率眾歸先主,先主以峻為中郎將。(略)子弋,字紹先,先主末年為太子舍人。(略)後為參軍庲降屯副貳都督,又轉護軍,統事…

『建康実録』を読んで呉の歴史を復習してみんとす。その2、孫堅〜孫策

はじめに まだエターナってないよ! そういえば言い忘れてたけど基本意訳だから、厳密じゃないよ。 これで誤訳してもおおかた誤訳じゃないよ意訳なんだよ!とごまかせる。 本題 太祖大皇帝の姓は孫、名は権、字は仲謀、呉郡富春の人である。その出自は周の武…

『建康実録』を読んで呉の歴史を復習してみんとす。先秦〜漢

はじめに 私は壊滅的に呉を知らない。 何してたかも、誰がいたかも。 知っているのは関羽の後ろを襲った♂ことくらい。 呉のイメージとしては「陸瑁ってなんで伝たってんだよ」って感じかな。 なので唐の許嵩による呉地方(建康)の通史チックな書物『建康実…

応劭(笑)

『後漢書』列伝巻四十八、応奉伝、附応劭 中平二年,漢陽賊邊章、韓遂與羌胡為寇,東侵三輔,時遣車騎將軍皇甫嵩西討之。嵩請發烏桓三千人。北軍中候鄒靖上言:「烏桓衆弱,宜開募鮮卑。」事下四府,大將軍掾韓卓議,以為「烏桓兵寡,而與鮮卑世為仇敵,若烏…

列子の来歴と王氏と傅氏

列子は春秋戦国時代の列御寇の著書とされるものである。 杞憂や朝三暮四の出典がこれである。 東晋の張湛が序文をつけた。この序には列子の来歴以外にも面白いことが載っている。 『列子』序 湛聞之先父。曰、吾先君與劉正與・傅穎根、皆王氏之甥也。竝少遊…