雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

高翔の子?

『三国志』巻四十一 霍峻伝附霍弋伝注引『襄陽記』 四年三月、從帝宴于華林園、詔問蜀大臣子弟、後問先輩宜時敘用者、憲薦蜀郡常忌・杜軫・壽良・巴西陳壽・南郡高軌・南陽呂雅・許國・江夏費恭・琅邪諸葛京・汝南陳裕、即皆敘用、咸顯於世。 蜀滅亡後、羅憲…

刺史の変化

刺史、前漢武帝の時に置かれ、本来は郡県の監察・弾劾を担当し、治民行政を行うことはなかった。 後漢に入ると、次第に行政官化し、後漢末になると州牧として正式に地方行政を担当することとなったのはご存じの通りである。 そうなった背景として次のような…

中郎将諸葛亮

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110526/1306335988 にも書いたが、中郎将には持節的性格があり、自立性がたかかったという。 さて、劉備が江南を平定した後、諸葛亮を軍師中郎将とした。 張飛が征虜将軍、趙雲が牙門将軍など、将軍がいろいろ置かれる中に…

朕、皇帝になったよ☆

証拠の皇帝行璽。 以下画像大量につき注意。

役立たず

今日は時間がとれないので簡単更新。 『萬姓統譜』 無能 能,陽曲人。洪熙中任淳化縣丞。 無能、人名である。 名前負けせず役立たずだったのか。 名前負けして(?)役に立ったのか。 明代に県丞までのぼるってどのくらい有能だったのだろうか。 よくわから…

論文「曹魏軍制前史」

森本淳「曹魏軍制前史−曹操軍団拡大過程からみた一考察−」(中央大学『アジア史研究』22号、1998年3月) この論文を読まずして曹魏は語れまい。そう思うほどに私が影響を受けた論文。 劉焉シリーズもここからの着想が非常に大きい。 著者の森本淳氏の夭逝が大…

是氏

『三国志』に伝もあるのにあまり有名ではない人、是儀(しぎ)。 呉人気の高まりにより、知名度もあがり、そろそろ次の光栄三国志シリーズには登場するのではないかともっぱらの噂である。[要出典] 〜閑話休題〜 この「是」という名字、滅多に見かけない。…

劉焉の益州支配そのさん〜劉焉と賈龍最後の戦い〜

劉焉シリーズ最終回。 支配確立に向け着々と準備を進めてきた劉焉。 ついに豪族との全面対決に。 豪族殺害 州内の豪族、王咸・李権等十人余りを殺害する。 また、時期は不明だがこのような話がある。 前益州刺史郤倹が殺された時、彼に従っていた部下(従事…

劉焉の益州支配そのに

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110522/1306029755 の続き。 劉焉は益州掌握の準備を進めていく。 劉焉と非益州豪族層 ①東州兵 東州兵:飢饉や乱の影響で南陽・三輔地方から益州に入った流民で組織された兵 狩野直禎氏は、劉焉がかつて南陽太守であったこ…

劉焉の益州支配そのいち(ちょっと修正)

前置き サークルで使ったものの流用。 どうでもいいことだけれどそのときのタイトルは 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 劉 焉 と 賈 龍 〜最 後 の 戦 い〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 だった。前置きはこれくらいにしてはじめる。 牧設置 劉焉は中平五年(188)州…

燃える夷陵

『古今図書集成』荊州府建置沿革考 彝陵州 春秋楚國地,秦彝陵。周赧王三十年,秦白起伐楚,燒彝陵,即此。三十七年,秦白起伐楚,拔郢,燒彝陵。(後略) 彝陵=夷陵である。 戦国時代、周赧王三十年、秦の白起が楚を伐った時、彝陵は焼かれた。 七年後、再…

青羌(追記あり)

ツイートした話を流用。 『三国志』巻三十一 劉焉伝注引『英雄記』 劉焉起兵,不與天下討董卓,保州自守。犍為太守任岐自稱將軍,與從事陳超舉兵撃焉,焉撃破之。董卓使司徒趙謙將兵向州,説校尉賈龍,使引兵還撃焉,焉出青羌與戰,故能破殺。岐、龍等皆蜀郡…

小関索

『過庭録』 忠宣帥慶,為種詁誣訟,責守信陽。時漢上有巨賊曰羅塹,擁眾雄視一隅。忽直壓郡界,靳三十五裏,一郡皇怖失措,朝夕危陷。忠宣集郡寮,謀守禦計,皆懦怯無敢當者。有酒吏秦生請行。忠宣命攝巡尉,欲假之衆,秦曰:「無益也。」獨以數十騎,直對賊…

とある宛陵の裁判事例

晋代の書物『広陵烈士伝』に次のような話がある。 『古今図書集成』の引く 『廣陵烈士傳』 劉雋,字幼節。遷宛陵令。到官二年,政治清平,為吏民所親。時縣有友人相過者,主人歡喜為具,持刀捕犬,因誤中客,客死,家見縣平法者云:主人本有殺心,應當伏辜。…

King×King

『漢書』巻九十九 王莽伝 (王)莽妻宜春侯王氏女,立為皇后。 王莽の妻は宜春侯王氏(王咸)の娘であった。 つまり、王莽の妻も王さんだったのである。 中国は古代から同“姓”婚が禁じられているはずだ。 この婚姻に問題はなかったのだろうか。 さて、ここで…

かっこいい名前。

ブログデザイン変更して今更春らしくなった。 春らしい記事を書いていきたいところだね。 『古今図書集成』平陽府部紀事 (崇禎)十六年二月,賀人龍伏誅兵譁於潞安,參軍魏鎮虎見殺賊直抵平陽東北喬村,鎮城守戒嚴遊撃。 参軍魏鎮虎 魏鎮虎 魏鎮虎 魏鎮虎 …

孫亮四姫

『拾遺記』 孫亮嘗作琉璃屏風,甚薄而瑩徹,毎於月下舒之。愛姫四人,皆振古絶色:一名朝妹,二名麗居,三名洛珍,四名潔華。 使四人坐屏風内,外望之,如無隔,惟香氣不通於外。為四人合四氣香,異國所出。 凡經踐躡宴息之處,香氣沾衣,歴年彌盛,百浣不歇…

爨氏

『三国志』には建寧の豪族の爨習*1という人がいる。 領軍まで昇った。「なにがむむむだ」*2の縁者でもある。 さらに、のちに彼の子孫は「爨」という民族となった。 さて、この爨氏に関して『爨龍顏碑』という碑文がある。 『爨龍顏碑』 其先世則少昊顓頊之玄…

呉王趙夫人

『拾遺記』 呉王趙夫人,丞相趙達之妹。善書畫,巧妙無雙。 能於指間,以綵絲織為龍鳳之錦。宮中號為機絕。 孫權嘗歎魏蜀未平,思得善畫者,圖山川地形。 夫人乃進所寫江湖九州、山嶽之勢,夫人又於方帛之上繍作五嶽列國地形。時人號為針絕。 又以膠續絲髮作…

蘇ったアレ

『後漢書』巻五十七 欒巴伝 欒巴字叔元,魏郡内黄人也。(好道。)順帝世,以宦者給事掖庭,補黄門令,非其好也。性質直,學覽經典,雖在中官,不與諸常侍交接。後陽氣通暢,白上乞退,擢拜郎中,四遷桂陽太守。 後漢の順帝の世、欒巴という宦官がいた。 彼…

巴把杷 

前に取り上げた抱氏の由来。 『古今図書集成』の引く『通志』にこれと似たような話がある。 『通志』杷姓 杷氏,杷闢牙切字,亦作爬,本巴氏,東樓公之後,後漢靈帝時巴康避董卓難,改為杷氏。 巴康という人がおり、董卓を恐れて、姓を杷に改めたという。 さ…

忠州

益州の巴郡は唐代に忠州と改められた。 『古今図書集成』重慶府建置沿革考 忠州 周為巴地,秦屬巴郡,漢置臨江縣,梁為郡,唐改忠州,以巴蔓子及嚴顏皆忠烈,故名。宋為咸淳府,元為忠州,明因之,編戶七里,隸重慶府。 巴の蔓子*1、そして厳顔が忠烈であっ…

厳顔自刎

『古今図書集成』に引く『續文獻通考』 嚴顏 顏,劉璋時,為巴州刺史。張飛破巴州,斥以胡不降。顏曰:我州但有斷頭將軍,無降將軍。 飛大怒,趣命斫頭。顏曰:斫頭便斫頭,何為怒耶。飛義而釋之,後竟自刎死。 巴郡太守が巴州刺史になっているなど、細かい…

杞憂な血筋

『魏書』巻九十四 抱嶷伝 抱嶷,字道徳,安定石唐人,居於直谷。自言其先姓杞 ,漢靈帝時杞匡為安定太守,董卓時,懼誅,由是易氏,即家焉。 北魏の宦官、抱嶷。 彼の先祖はもとは杞氏であった。 杞匡という人が董卓に誅殺されることをおそれ、姓を抱に改め…

羅甸王

『明史』巻三百十六 貴州土司 自蜀漢時,濟火從諸葛亮南征有功,封羅甸國王。後五十六代為宋普貴,傳至元阿畫,世有土於水西宣慰司。靄翠,其裔也,後為安氏。 諸葛亮は南征に功のあった済火という人物を羅甸国王に封じたという。 『続文献通考』によれば済…

張良から張魯へ

昨日と同じ書物から 『歴世真仙體道通鑑』巻十八 張天師 天師真人姓張氏,諱道陵,字輔漢,沛豐邑人,留侯子房八世孫也。子房初遊下邳,遇黄石公,授以素書,後從漢高帝,有功封侯,養真辟穀,師友赤松,得東園公飛步之訣,謚文成侯,黹赘人蛮伛功隱行,流芳…

張魯伝?

今日も例の魔法により時空が乱れております。 さて、とある道教系の書物に張魯の伝がある。 『歴世真仙體道通鑑』卷十九 張魯 系師張魯,字公期嗣師長子也。 好道,守真人之法。仕漢,歴典農校尉、安民中郎將、漢中南鄭二郡太守。 後隱身學道,以符法治病,…

まどか☆マギカカフェ

期間限定でまどかカフェとなっているグッスマカフェへ行ってきた。 クソ画質写真を交えながらレポしてみる。一部友人の撮った写真を使用。 このブログで完全なアニメネタは初めてかもしれない。三国志?なんだっけ?

趙韙の謎

劉焉が益州牧に任じられて洛陽を去る時、巴西郡出身で当時大倉令であった趙韙は官を辞し、劉焉に従ったという。 『三国志』巻三十一 劉焉伝 及太倉令巴西趙韙去官,俱隨焉。 『華陽国志』の劉二牧志にも同様のことが書かれているのだが、『華陽国志』の別の…

蜀郡の常氏と趙氏

『華陽国志』蜀郡士女讃から 常洽、字茂尼、江原人也。自荊州刺史遷京兆尹、侍中、長水校尉。以兵衛大駕西幸。 傕等作難、常侍衛天子左右。為傕所殺。 常洽、荊州刺史や京兆尹、侍中、長水校尉を歴任。献帝の流浪に付き従った。 常に献帝の左右を護衛したが…